洗脳=子どもが大人になった時に親を恨む
教育=子どもが大人になった時に親に感謝する
以上は私が考えた定義だ。ちなみにネットの拾った情報では、教育が自分で考える力を養うことなら、洗脳は自分で考える力を奪うことともされていた。
いずれにしても親の伝え方、教え方がカギになるのは言うまでもないだろう。
とりわけ宗教については、親が自分の信仰をおしつけることがないように細心の注意を払う必要がある。
残念ながらエホバの証人の少なからずの親が、「したほうがいいこと」を「しなければならないこと」、「しないほうがいいこと」を「してはいけないこと」として子供に教え、非常に窮屈な印象を与える傾向にある。親の教え方によってエホバの証人について悪い印象を持たれているとしたら非常に残念だ。
特に日本人の国民性として、真面目な気質があり、集会で何らかの励ましが与えられると、すぐに「自分もそれをしないといけない」と感じる傾向にある。もちろんすぐに応じる精神は素晴らしいのだが、上記にも述べたように、「したほういいこと」と「しなければならないこと」は自分の中で区別しておく必要があり、まだ物心がついていない子どもの場合は、親がそれを明確に教える必要がある。
特にまだまだ純粋で感化されやすい子どもだからこそ、なおさらそういえる。
誤解されないように述べておくが、聖書そのものの教えはシンプルであり、無理なことを要求していない。そのため教える側の私たちが、それを損なうことがないようにしないといけないのである。