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終わりを意識して生きるとは。

 「終わりはいつくるかわからないから明日終わりが来てもいいように準備する」二世なら耳が痛くなるぐらい聞かされたきたセリフである。しかし、これには裏の意味もある。「終わりはいつくるかわからないから思っていたより来るのが遅くなってもエホバに仕えられるよう準備する。」

 私の気のせいかもしれないが、周囲の現役信者をみていると、終わりが先になった時の準備ができていないようにみえる。もちろん、思っていた時に終わりが来るのがベストという方もいられるが、そうならない可能性も多大にある。例え終わりが思っていたより早くきても遅くきてもエホバに仕えられるようにすること、それが一番大切ではなかろうか。なぜなら、私たちの忠実さは時に依存してはいないはずだからだ。

 今月のマンスリープログラムでも扱われていたが、組織ははるか先を見通して計画を立てている。それは、この年まで終わりがこないと思っているから立てているのではなく、終わりがいつになろうと組織の務めを果たせるようにするためにおこなっていることである。緊急感を持つことと計画性をもって将来設計をすることは、そのいずれも重要なはずである。