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100に1つはありそうな輸血拒否の新しい光

 現役の方ならよく知っている通りJWの郷里は新しい光と称して様々な変遷をたどってきた。その歴史については、こんな便所の落書きと大して変わらないサイトよりも公式サイトの方がはるかに詳しく信頼できるので、そちらを参照されたし。

 ここで取り上げたいのは過去の歴史ではなく、これからの話。ずばり輸血拒否の郷里は変わるかだ。個人的には以下の理由から輸血拒否の郷里は変わる可能性があると思っている。

 ①聖書が書かれた時代に輸血は存在していない。

 日本赤十字社のサイトなどによると人類初の輸血は1600年代のようだ。聖書が書き終えられたのは西暦96年ごろとされているので、当然、聖書が書かれた当時に輸血は想定どころか存在すらしていなかったとなる。では、JWが金科玉条のように輸血を避ける根拠としている「血を避けなさい」とは、当時何を想定して述べていたのか。輸血は存在すらしていないので、口を通して血を取り入れることを想定していたと考えるのが自然だろう。現代日本では、肉=血抜きされているのが当たり前だが、海外ではいまだに血抜きされた肉を手に入れるのが難しい国もあったりする。ましてや今から2000年近く前となると血抜きされた肉を見つけるのに苦労を要したとしても不思議ではないだろう。

 では、この「血を避けなさい」が輸血にも適用されるという根拠はあるだろうか。当然、当時は輸血は存在すらしていなかったので、直接的な証拠を聖書に見出すことはできない。(もちろん、避けなさいと言われているから輸血もダメというJWの解釈になるのも無理はないと思われる。ただ、それなら、血清も分画も全部だめなんじゃないのという気もする。)

 ②命は神からの贈り物

 今更現役JWにいう話でもないが、命は神様からの贈り物であり、粗末に扱ってはならない。では、輸血拒否で仮に命を落とす可能性があるならそれは、命を粗末に扱うことにならないだろうか。

 以上を理由にJWが輸血拒否の郷里を改定する可能性は0ではないかもしれない。もちろん、そうなった場合は、じゃあ今まで輸血拒否でなくなった人はどうなるんだと、大きな批判、混乱が予想されるだろう。また、JW=輸血拒否というイメージ一般的にも浸透しつつあるので、そこに対するアナウンスも苦労を要すると思われる。

 以上完全な推測記事でした。ちなみに今回の二世問題をまかり間違っても新しい光の理由にすることはないと思われる。そんな外圧で変わるならとっくに受けの悪い郷里は変わっている。