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将来の希望を待ち望みすぎて、諦めモードになるのは違うだろうという話

 将来、この地球が楽園になるというのは聖書の希望の一つであり、エホバの証人が楽しみにしている将来の希望の一つでもある。

 もちろん、それを今か今かと楽しみにするのはいいのだが、この体制での生活について半ば諦めている人が多いなーと感じる。結婚も出産も楽園でするから今の世では諦める、ずっとパートで働いてきたから集会を支持できるような正社員の仕事を探すことは諦めるといった具合に。

 諦めるのと将来を楽しみにするのとでは、かなりニュアンスが違ってくる。前者はネガティブな印象だが、後者はポジティブな印象だ。これは、勝手なイメージだが、前者からは惰性で奉仕をしている様子が伝わってくるが、後者からは将来を楽しみにしつつポジティブに奉仕に携わっている様子が伝わってくる。時とともに前者から後者になる人もいれば、後者から前者になる人もいるだろう。

 自らその選択をした人がどうしてこんな風になるのかを考えていくと、結局のところエホバへの愛情が燃え立たせているかどうかがカギなことに気づく。最初は新婚で仲睦まじかった夫婦が時を経るごとに惰性で夫婦生活を送る熟年離婚間近の夫婦になるかのようにエホバへの愛が変遷してしまったならば、それは当人にとっても周りの人にとってもとても不幸なことだ。

 ただ、愛は自然に燃え立つものではなく、愛の炎の火力を保つためには薪をくべつづけないといけないので、このブログを書きつつ自戒している。