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コロナ禍で君はなにをしたか?(JW編)

 新型コロナウイルスは専門家もびっくりな謎の急減を続けている。もちろん、この傾向がいつまで続くかはわからないし、また、どうせ次の波がくるのだろうと予測している人も少なくない。ただ、重症化率は以前の波より低下傾向で、抗体カクテル療法など新たな治療法も続々と試されつつある。これが一区切りなのかはわからないが、このコロナ禍の機会をどう活用し、また逆にどう活用していないのかまとめたいと思う。

 このコロナ禍での最大の発見の一つは、オンラインでの集会の方法が確立したことだろう。今後も自然災害、様々な政治情勢などで直接集まりあうことが難しくなる状況は当然予想される。現在用いているzoom集会は、そうした状況下で特に効果を発揮するのではと思われる。また、幸か不幸か高齢化が進むJWにおいて、直接集まり合わないことが信者の負担軽減になっている面もあり、その面でも功を奏している。訪問講演も直接遠くの地まで行く必要がなくなり、ある意味場所による制限がなくなったので、これまで以上に様々な場所からの訪問講演は増加するのではと思われる。信者とっては、リアルな王国会館の集会では中々会うことができない兄弟姉妹の経験を聞くことができ、この面でも益をうけている。

 もちろん、上記で述べたようないいことばかりではなく、諸刃の剣のようなこともあり、その一つは、布教活動について月何十時間など特定の時間が求められる人への時間考慮だ。(いわゆる補助開拓者と呼ばれる人で50時間、正規開拓者と呼ばれる人でえ70時間である)これがどうして諸刃の剣なのかというと、一言でいうと、さぼろうと思えばいくらでもさぼることができる状況なのである。もちろん、手紙や電話での奉仕は励まされているのだが、コロナ禍で奉仕する手段も限られていることから、先に述べた要求時間については、それぞれの状況も配慮して考慮しますということが発表でも述べられている。要するに絶対に要求時間を満たさなければならないというわけではないわけだ。人間というのはどうしも楽な方に行きがちなので、結果的に今までみたいにたくさん奉仕をしなくても正規開拓者という立場が保てたらそれでいいやという人が増えるのではと危惧している。(本来、立場にこだわるのは本末転倒なのだが)最終的に奉仕の喜びが失われ、信仰も弱まるという結果になりかねない。

 最後に取り上げたいのは、これはエホバの証人に限らないかもしれないが、コロナ禍による機会損失である。現実に起きていることとして、外国で布教活動に携わっていた少なくない人がコロナ禍によって日本に戻ってきている。また、その一方で、コロナ禍で必要の大きな人に移動した人もいる。また、反対にコロナ禍のせいで本来は移動する予定だった人がそれがなくなったり、延期になった人もいるかもしない。このあたりは感染リスクをどこまで許容できるのかともかかわってくるので、非常に難しい問題でもある。ただ、個人的に1年以上コロナと戦ってきて学んだことの一つは、なんでもかんでもコロナが治まってからで延期するのではなく、コロナ禍でも安全に行う方法を考えるという視点だ。おそらくゼロコロナは不可能だし、今後もコロナとの戦いは続いていくと思われる。そのコロナがある1年を何もしないで過ごすのと少しでも何かをして過ごすのとでは大きな違いがある。時間は有限であり、肉体的に健康で自由な年齢にもリミットがある。

 さあ、次のコロナとの1年、君は何をする?