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もうすぐ死ぬからと言われるのはつらいけど、たぶんお前死んでもこいつら変わらないからと言われるのはもっとつらい

 人の死が他の人に変化をもたらす場合もあれば、そうでない場合もある。どうやらイスラエル人の場合は後者だったようだ。

 これだけ聞いて何の話かすぐにピンとくる人は、毎週の集会に参加して、聖書通読の予定(JWの場合今週は聖書のこの部分を読みましょうというのが目標として挙げられている)にも忠実に従っている熱心な人と思われる。ピンとこない人は、ただちにこんな毒にも薬にもならないこんなブログはすぐに閉じて、まずは聖書を読むことを強くお勧めする。

 さて、ここからが本題。タイトルにあるもうすぐ死ぬからと言われたのは、あの紅海をわけ、たびたび十戒はじめ映画の題材にもなっているモーセである。では、そのモーセの一番の気がかりは一体なんだったかというと、これは今まで自分が引っ張ってきた民が神に忠実であるかどうかという点だったと思われる。では、先を見通す神は、モーセの死後民はどうなると予告していたのか、その答えは、申命記31:20,21節にある。そして、歴史はその神の予告が当たっていることを示している。

 親の立場なら、自分が死んだあと子どもたちが幸せに暮らせるのかは一番の気がかりだろうし、実の子どものようにイスラエル人を引っ張ってきたモーセにとってはかなりショッキングな予告だったと思われる。もちろん、これは何か民が不忠実になる運命だったというわけではなく、これまでの行動に基づく予告に過ぎない。つまり、未来を変えるチャンスもあったというわけだ。

 さて、時間を現代に戻そう。過去を変えることはできないが、未来は変えることはできる。死は今の世では避けられないが、そこに至るまでの過程は変えることができる。コロナで死というものが身近に感じられる今だからこそ、こうした古代の例が重く感じられる。

 We can changeは今かもしれない。