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目覚まし時計は早くなりすぎたのか。

 この言葉を聞いてピンときた人はそうとう聖書の勉強をしている人だろう。まあ、そもそも勉強熱心な人はこんなブログを読まないかもしれないが。

 詳しい年数は失念したが、かなり前の出版物で、いわゆる「〇年には終わりがくるだろう」と思っていた兄弟が、終わりが来ず、その時の感想で述べた言葉だ。終わりがいつ来るかどうかって結構重要な問題なのに、目覚まし時計に置き換えるところがなんとも外国人らしいなと感じたのを覚えている。

 自分がこれを読んで感じたのは、自分の人生設計に、終わりがいつ来るかを計算にいれるのは非常にリスクがあるということだ。

 現時点ではっきりしているのは、終わりの日が近いということだけだ。それがいつかは不完全な人間には誰もわからない。

 今はコロナ禍で緊急感を抱きやすい状況だ。実際、こういう状況もあいまって戻ってきている人も多いと聞く。では、コロナが落ち着いたらどうするのか。終わりはまだ先だと思ってまた離れてしまうのだろうか。もし、その信仰が状況に左右されているなら、それはとても悲しい気がする…

 真の信仰とは、状況や環境に左右されるものではないのだから。