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牧羊訪問と聞くと気が重くなる理由を真剣に考えてみた

 エホバの証人の世界には1年に2回巡回監督という人が来て、1週間その地区のエホバの証人の人と一緒に奉仕をしたり、集会で聴衆に向かって話をしたりする制度があるというのは前の記事でふれた。

 その1週間の間に幸か不幸か1-2名巡回監督と個人的に話をされる機会があったりする。それがタイトルの牧羊訪問という制度である。人によっては牧羊訪問と聞くだけで拒否反応を示す人もいたりする。それはなぜなのかが本題である。

 ①そもそも巡回監督と直接話をしたことすらない

 巡回監督といっても半年に1度しかこず、しかも3年で交代になってしまうので、演壇から話を聞くことはあっても、個人的に話す機会が全くない人もいるのである。そんな状況で個人的に呼び出されて話をされるというのは、人によってはプレッシャーを感じる状況といえる。

 ②話をされる≒助言

 これは物はいいようなのかもしれないが、個人的な話=怒らわれるわけではない。しかし、そもそもエホバの証人としてものすごく順調に歩んでいる人にわざわざ個人的に話をするというのも考えにくい。なので、どんなに優しい口調で言われても、「自分はこういう点ができてないから言われるんだな」と考えて落ち込んだとしてもある意味無理のないことかもしれない。

 ー余談ー

 逆の立場で考えると半年に1回しか会わなくて、しかも全然個人的には親しくない人に何かを言わないといけないというのはものすごく難しいと思う。

 助言を言う側も聞く側も心理的負担が大きいなと思う。