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消し去りがたい宗教2世の被害者意識

 一口に宗教2世といっても生まれた時にすでに親がその宗教の信者のケースもあれば、それ以降親が信者になって親の教育方針が変わったケース、親は信者だが子どもに宗教を教えることには熱心でないケースなどその内実は様々だ。

 少し前にいくつかのテレビ番組でも取り上げられていたが、特に親が宗教に熱心すぎて子どもが途中でついていけなくなる場合に、そこに「親からこんなことをされた」という被害者意識が生まれたりもする。この被害者意識というのは中々厄介で、様々な問題の原因をそこに結び付けようとするかもしれないし、また、自分の人生がうまくいっていない場合にそれを親のせいにしやすくもなるかもしれない。いじめられっ子が今の自分がこんな性格になったのは、あのいじめっ子のせいだと考えることに似ている。

 さて、問題はここからで、「こうなったのは確かに親の教育のせいかもしれない。だけど、自分はこうしよう」とポジティブに考えることができればいいのだが、どうも被害者意識が強すぎるとだれかのせいにしてそこで終わってしまう気が多い気がする。まさしく、ネガディブな感情がポジティブな行動を奪ってしまうというわけだ。

 誰かのせいにすることを全否定はしないが、そこで止まってしまうなら自分にとってマイナスにしかならない。確かに人生は決定的に不公平かもしれない。しかし、その状況をいくら嘆いたところで状況は好転しない。金持ちの子どもも貧乏人の子どもも皆同じ尊い一つの命であり、どう生き、そして、どう自分の人生を立て直すかは己次第だ。

「もう誰かのせいにするのはやめにしよう」